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VFXスーパーバイザー:秋山貴彦さん (1/3)

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VFXとは、ビジュアルエフェクト(視覚効果)という意味で、VFXスーパーバイザーとは視覚効果の監督といった位置づけです。撮影後 に合成するCGやVFXについて、撮影の段階やその前に、監督や照明さん、カメラマン、美術さんに、必要に応じてアドバイスをしたりする役割です。
 
VFXスーパーバイザーを始め、映画監督、CGクリエーター、プロデューサーとして幅広く活動をしている秋山貴彦さんに、”好き”を仕事にすることについてお話を聞きました。
 
 

・・コンテンツ・・

1.VFXスーパーバイザーになるまで
  Ⅰ. 小さい頃からの興味
  Ⅱ. 大学生になってからのテーマ
  Ⅲ. 「イラストレーター」
  Ⅳ.  コンピュータとの出会い
  Ⅴ. 「CGクリエーター」
  Ⅵ. ”仕事の魅力”
  Ⅶ.  得意な分野と憧れの世界のリンク
  Ⅷ. 「VFXスーパーバイザー」
 
2. VFXスーパーバイザーの仕事
 
3. 秋山さんの仕事観
  Ⅰ. 「映画プロデューサー」「監督」
  Ⅱ. 趣味人と職人
 
読む時間の目安:4分半
 
 
 

 

1. VFXスーパーバイザーになるまで

ーー秋山さんは映画監督だったり、CGクリエーターだったりと、幅広く活動をされてますが、1番重心を置いている仕事はなんですか?あるいは、ひとつだけ職名をあげて自己紹介をするとしたら、どの職業なんでしょうか?

 

職業は何か?と聞かれて、これ!っていうのはないんですよ。映画監督もCGクリエーターも、プロデューサーもイラストレーターもやっていて、それぞ れがリンクしているので、切り離して、これが僕の仕事です、とは言い難いんですよね。ただ、何か物を作る人という部分は共通していると思います。

 

僕はもともとコンピューターグラフィクス(以下、CGと表記)を制作する会社に入ったのがキッカケで、その入り口は大学生の時に始めた、雑誌で使うイラストを描く仕事だったんです。

 

そもそもCGを使った職業って僕が生まれた後にできたものなので、小さい頃はCGクリエーターという職業そのものがなかった。ちょうどCGクリエーターっていう職業ができ始めた頃に、僕はその職に就きました。

 

CGクリエーターになりたい!と思ってなったというよりは、「絵を描くことをどうやって仕事にするか」という観点で、色々やってきた結果、CGクリエーターという職にたどり着いた、という感じですね。

Ⅰ. 小さい頃からの興味
僕は小さい頃、発明家になりたかったんです。
高校生になってからは、特撮映像や映画をつくる世界に興味がありました。

SFXという言葉が自分の中でキーワードになっていて、それに関わる仕事に就きたいと考えていました。特殊メイクだったり、アナログの特殊撮影といったSFXの世界に憧れていました。
 

SFXっていうのは、Sound Effects, Special Effectsの略で、中子真治さん(80年代に活躍をした、SF映画研究家。)という方が書いた「SFX映画の世界」という本によって、SFXという言 葉が日本で広く使われるようになってきたんです。ちょうどスターウォーズが公開された後に次々と作られたSFX映画ブームが始まった頃でした。

 

そんな思いを持ちながら、高校卒業後の進路について文系行くか、理系行くかを考えていて、ロボット作りたいから理系もいいなあって思ったり、でも絵も描きたいし、映画つくったりもしたいなあと思ったり…結局理系とか文系とか、どっちいくとかわからなかったんです。映画づくりがしたいけど、文系の勉強を学術的にしたい!っていうスタンスではなくて、大学の映画研究会やサークルに入って何かつくってみたいな、という感じでした。

 

専攻について自分の納得のいく目標が定まらない中、ひとまず文系の大学を目指す、ということにしました。ところが、目標が定まり切らなかったこともあり、志望の大学に受からず浪人しました。

 

そして、その頃からイラストの仕事等もやり始め、進路について考え直した結果、美大に行こう!と決めました。翌年、一浪を経て美大に入学しました。

Ⅱ. 大学に入ってからのテーマ
自分の好きな事や得意なことをどうやったら職業に結びつけられるかっていう問いの答えを、大学時代に模索してたんです。
 

大学入学した頃から、自分が将来何になれるか分からないので、実際にいろんな職業を試すわけですよ。僕は、小さい頃から絵を描くのが人より得意だったので、絵を描くことを仕事にするっていう選択肢を漠然と持っていました。

 

でも、「絵を描く」というと、画家になるっていうのが1つのやり方としてあるじゃないですか。だけど、画家になってお金を稼ぐっていうのがどうも結 び付かなかったんですよ。そもそも画家は職業なんだろうかっていう疑問もあったんです。画家として成功すれば、いいんだろうけど、巨匠になって絵が売れる ようになるまでがあまりにも長いと僕は思いました。

 
絵を描くことを仕事にするっていうことに関しては、小さい頃から「あなたは絵を描きたいんだったら、公務員になりなさい。」と母親から言われて いました。定時で帰れるような仕事に就いて、帰宅後とか週末とかに、趣味として絵を描きなさい、ということですね。って言われたんですけど、僕としてはそんなつもりは全くなかったですね。
 

母は専業主婦で、父は割烹料理屋をやっていたんですよ。母親があまり父の職業の跡継ぎをさせたくないというような教育方針だったので、父親と同じ道 には進まないと、小さい頃から自然に思ってしまっていました。それで、自分の好きなことをやっていこう、と。でも、好きなことをどうやって仕事に結びつけ るかについて、ずっと考えてきました。

 

「絵を描いてお金をもらえる職業」って画家じゃなくて、イラストレーターかなと当時、大学生の僕は思っていました。それでその頃、偶然出会った人に 雑誌の編集社の方が居て、挿絵を描いたりだとか、ジオラマを作ったりだとかをアルバイトとして始めるチャンスがありました。そういう形で自分の描いたり 作ったりしたもので、お金をもらえるという、それがひとつの価値になるっていう経験をしました。

 

好きなことと言えば、絵を描くこと以外にもあって、大学時代にはバンド活動をしていました。でも、自分の音楽的な才能に限界を感じました。レゲエバ ンドのコピーをやっていましたが、オリジナルをつくる、歌っていくというところで壁を感じました。それで、職業と結びつけて考えようとしたときに、趣味ならいいけど、仕事にはできないなあと判断して、音楽で食べていくってことは断念しました。

Ⅲ. 「イラストレーター」
僕が大学生くらいの時ってヘタウマブームがあったんですけど、逆に僕の絵って、大正時代の挿絵画家が描くようなレトロなテイストの絵で、すごく緻密なイラストで描くのに時間がかかったんですよ。
 

大正時代には無い技法として、エアブラシを使って描いていたんですが、エアブラシってインクの色を変えるのに、一色一色掃除をしなきゃいけないんですよ。それですっごく時間がかかっちゃって、絵の制作の半分以上がその道具の掃除になってたんです。

 

僕は当時、明治生まれの人(すでに60、70歳代)が描くような絵を書いていたんで、逆にそういう画風の若いイラストレーターは珍しいっていうことで、ニッチな部分で需要はあったんです。

 

だけど、ヘタウマの絵と僕の絵を比べるとコストパフォーマンスで考えると損をしているんですよね(笑)雑誌の挿絵って、ワンカット2000円とか 50000円とかだいたい定額で決まってるんですよ。どんなに緻密な絵を描いても、ヘタウマな絵をささっと描いても金額は一緒な訳です。僕は1つの絵を描 くのに一週間掛けたりしていて、ヘタウマ系の絵を描く人は一日どころか、10分、20分で掛けちゃう訳ですよ。これはこの先自分の職業としてどうなんだろう、と思いました。

Ⅳ. コンピューターとの出会い
アスキー出版でイラストレーターとして仕事をしていたんですが、僕が大学を卒業する少し前に、その会社からコンピューターでゲームのイラストを描く仕事が入ってきたんです。僕はその時、初めてコンピューターを使って絵を描きました。

 

その時にボタン一発で色が変わるっていうのは、今では当たり前なんだけど、ものすごい効率がいいってことに当時は驚きました。絵を描く時に、エアブ ラシで色を変えるだけですごく時間がかかっていたんですけど、コンピューターでボタンを押せば一発で色が変わる!将来的にこの道具が進化していけば、自分 の描きたいものを効率的に描くことができる!と思って、それ以来コンピューターの進化とそれを使って絵を描くってことに興味を持ち始めました。それと、そ の仕事が今までのイラストの一点いくらというギャランティの規定から、作業時間で報酬が貰えるというスタイルに変ったので、そのことについても自分にとっ ては魅力的でした。

Ⅴ. 「CGクリエーター」
そ して、たまたま「11pm」というTVの深夜番組で紹介されたトーヨーリンクスという会社の求人票が大学にあったので、(当時の社名、日本で2番目に出来 たCGプロダクション)その会社に興味を持って、面接を受けに行って、採用されました。それから本格的にCGで映像を作ることになりました。
 

もともとはイラストレーターとして、フリーランスになりたかったんですよ。

 

でも当時どうして、会社に入ったかというと、コンピュータを自分で買えなかったんです。今の何百倍とか何千倍とかするくらい、すごく高かったんで す。グラフィックがきちんとできるコンピュータって一億円以上したんですよ。今だったら、30万円くらいで買えるコンピュータよりも1000倍遅いコン ピュータが1億円したんです。ここ2、30年でコンピュ—タのスピードは劇的に早くなったし、価格も破格に安くなった。

 

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interview#3